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時々ラジオ

時々ラジオ

こんにちは。

工事部のMです。

スマホでも手軽に映像を見ることが出来るようになっていますが、ふとした瞬間にノイズ混じりのラジオの声が恋しくなることがあります。

それはきっと、孤独な夜や多感な時期に、ラジオがいつも隣に寄り添ってくれたからでしょう。

 

テレビのイメージが強い「欽ドンの良い子・悪い子・普通の子」ですが、その真の面白さはラジオ放送『欽ちゃんのドンといってみよう!』から始まったことをご存じですか。

(40年以上も前の番組ですから知らない方が多いと思われますが、テンポよく楽しかった思い出があります。)

リスナーから届くハガキの一行一行に、欽ちゃんが絶妙な間とツッコミを入れ、頭の中でキャラクターが動き出す。

視覚情報がないからこそ、ヨシオ、ワルオ、フツオの姿は聴き手の想像力の中でより鮮明に、より滑稽に躍動していました。

あの「ハガキ一枚で世界が変わる」ワクワク感こそ、ラジオの醍醐味だったことを思い出します。

 

よく聞いていた頃は一応受験勉強に勤しみ、参考書と向き合う机の上で、ラジオだけが私の味方でした。

イヤホン越しに流れるパーソナリティの笑い声や、同じ境遇のリスナーの投稿。

それは単なる娯楽ではなく、「同じ空の下で誰かが起きている」という確かな連帯感でした。

睡魔と戦うペン先を動かし続けてくれたのは、あの体温のある「声」だったのです。

 

勉強の合間に、ふと心を静めて聞き入ったのが『音の本棚』(1976年~1979年)などの朗読番組でした。

ページをめくる音、遠くで鳴るドアの閉まる音、そして名優たちの深みのある語り、一切の映像を排した空間で、物語の情景はどこまでも豊かに脳裏に広がります。

文字を読むのとはまた違う、耳から直接心に溶け込む物語の迷宮。

それは、現代のタイパ重視の動画視聴では決して得られない、贅沢な没入体験でした。

 

受験勉強に一区切りを付けた後は、ラジオを聴く機会がめっきり減りましたが、麻布十番の架空のバー「AVANTI」での常連さんの裏話やエピソードに聞き耳を立てる番組を楽しみにしていました。

また、ある土曜の朝に山の空気を届けてくれる『山カフェ』を偶然聞く機会があり、山歩きの経験はあまりありませんが、聞いているとあたかも日本アルプスを歩いているように感じ、機会があるたびに聞くようになりました。

 

休日の朝、家事見習いがひと段落したときに、コーヒー片手に聞くのがひとつの楽しみにもなっています。

他には、ラジオではありませんが、切実な本音が交差する『病院ラジオ』(テレビの不定期番組)。

文字通り病院内に特設ブースを作成し、サンドウィッチマンの二人が患者さんやその家族の話を聴き、病院内に放送する番組です。

想像を絶するような病気との闘いや将来への不安などが語られることも多いですが、悲壮感ではなくすべてを受け入れ、それに対峙する前向きな姿にいつも励まされています。

 

時代や形は変わっても、ラジオの本質は変わりません。

目に見えないからこそ自分の経験を重ね合わせ、想像を豊かにして自分だけの風景を描き出します。

「百聞は一見に如かず」といわれますが、自ら想像し創造することで自分なりの情景を思い描きプラスな思考が生まれる様に思います。

映像情報に流されていると感じた時にラジオを聞き、少し気持ちを落ち着かせてみてはどうでしょうか。