社長ブログ

「『ありがとう』の溢れる会社をつくろう」の背景

「『ありがとう』の溢れる会社をつくろう」の背景

 


全体との無限連関の理明らかになりて、初めて『分』の自覚は生ず
(森信三)


 

私はこれまで繰り返しこの言葉を社員の皆さんに紹介してきました。

それは、この言葉が人が生きている理由を私たちに示してくれていると思うからです。

そして、当社の理念「『ありがとう』の溢れる会社をつくろう」も、実はこの言葉に触発されて掲げたものだからです。

 

「全体との無限連関の理」とは、この世のすべてのものが互いに関連しあっており、ただの一つとして部分として取り出せたり、独立して存在するものはないということです。

例えば、人間の体は60兆個の細胞から出来ていますが、そのうちの一つが単独で存在し続けることはありえないのです。

60兆個の細胞が互いに関連し、それぞれが自分の役割・責任を果たして、はじめて人間は生き続けることができ、その結果として一つの細胞も存続が可能となるのです。

 

これは人間の体に限ったことではありません。

どのような集団であっても、それに属する個が全体の一員としてその役割・責任を果たしているからこそ存続できるのです。

そして、全体が存続するからこそ、個も存続できるという関係にあるのです。

「全体との無限連関の理」を明らかにするとは、自分と全体とのそんな切っても切れない関係を認識することに他ならないのです。

 

それは取りも直さず「恩」を知ることだと言っても良いでしょう。

「恩」という字をよく見ると、「心」の上に「因」が載っています。

「因」とは原因の「因」であり、要因の「因」です。

要するに、自分が今このように生きておれる「因」を心に載せることであり、「おかげさま」を知り(知恩)、それを感じる(感恩)ことです。

「恩」というのは、宗教染みた抹香臭いことではなくて、自分の来し方の事実を事実として正面から捉えることなのです。

 

「『分』の自覚」とは、「おかげさま」が分かった上で、その「恩」に報いる(報恩)ために、自分の役割・責任さらには使命を自覚し、それを果たそうとすることです。

そこに生きがいが生まれてくるのだと思います。

自分を生かしてくれる全体に対して貢献しようとする使命感こそが、生きがいを生む源なのです。

 

同じようなものに野心がありますが、野心は全体の中で自分を際立たせようとする意欲であって、全体に対して恩を返そうとする使命感とは非なるものです。

野心は孤独を引き寄せてしまい、連帯感や共同体意識にはつながらないのです。

 

また、「おかげさま」が分からないのは、自分が支えられていることが分からないからです。

支えられているにもかかわらず、自分の力で生きていると思い込んでいるからです。

これを「おめでたい」というのです。

そして、「おめでたい」のは、本当には自立していないからです。

幼稚で未熟だから自分が支えられていることが分からないのです。

人に依存している人間ほど、自分が依存していることに気付かず、自分の力で生きていると思っている。

そして、周りの人たちと、本当の意味で共感を分かち合えていないのです。

人は齢をとったからと言って、大人になり成熟できるのではありません。

若い人でも驚くほど成熟している人もいるし、その反対の人もいます。

要は自己中心性を手放せているかどうかの問題なのです。

我(が)に囚われている限り、「知恩」も「感恩」も「報恩」もなく、人生の深い意味を味わうこともないのです。

 

当社の理念「『ありがとう』の溢れる会社をつくろう」は、ただ単に会社の中で「ありがとう」を言い合おうということではありません。

それよりも、「知恩」、「感恩」、「報恩」によって、事実を事実として受け止め、自分の役割・責任・使命に気付き、仲間と共感に満ちた豊かで生きがいのある人生を送ろうということなのです。