会長ブログ
『心と行動のガイドライン』の繙き(ひもとき) (6)

❻「組織」であるより「チーム」であれ
自ら省みて立派な人間になろうと努力する人にとって権限の規定や罰則、人事管理がいるはずがないでしょう。
そういう人間に育っていけば、組織、機構にとらわれないばかりか、自由自在に組織を生かしていくこともできるのです。
(出光佐三「日本人にかえれ」)
太平洋戦争緒戦で日本軍は南方の油田地帯を占領し、その油田からとれる石油をいかに効率よく各地に配給するかが課題になりました。
当初陸軍はその配給のために二千五百人の組織を立ち上げる計画をつくりました。
これに対して出光佐三は、戦時体制下にこのような人の無駄遣いはあってはならぬことを説きました。
そして、実際にその仕事を任され時、言葉通り百数十人でこれを完遂したのでした。
これを実現した背景となったのが、冒頭に掲げた考え方です。
仕事の目的と戦略を、組織よりも上位に据えて、各人が自由闊達に動けば、出光がやり遂げたようなことが可能になるのです。
出光佐三は「組織の奴隷になるな」と表現していますが、組織の奴隷になっている人間は、自分の仕事の目的よりも定められた職掌に囚われることで、自分と全体との関係を見失ってしまいます。
主体性を手放して、いわゆる「させられる立場」に立ってしまい、自分の仕事と定められていること以外はやろうとはしなくなってしまいます。
出光佐三は、その対極の姿として、当時の出光興産の社員の仕事振りを次のように述べています。
出光においては、組織にとらわれず自由に働かせているから権限の規定がありません。
これは他の人の受持ちだけれど、自分がたまたま行ったからついでにやってきた、ということが平気で行われています。
このように社員が主体性を発揮し、誰の仕事、彼の仕事などとは言わずに、全体のためにやっていくところに、本当の生産性の向上があるのです。
しかし、このような集団であるためには、その集団の一人ひとりが我執を手放し一致団結し、全体の「和」を何よりも大事する風土がなければなりません。
組織は全体が円滑に動くための手段です。
しかし、それは万能ではなく、固定化することで却って組織の円滑な動きを阻害してしまうことさえあります。
それを防ぐには、皆が組織の上に全体の目的を置いて、方便に過ぎない組織を使わねばなりません。
そうして初めて、冒頭の出光佐三の「自由自在に組織を動かしていく」ことが可能になるのです。
このことはサッカーを見ているとよく分かります。
一人が相手にプレスをかければ、全体がそれに連動して動かなければ、相手からボールを奪うどころか、こちらの守備陣が一人減ったことにしかなりません。
攻守が頻繁に入れ替わるサッカーでは、一つの動きに対応してメンバーが常に全体を見て適切に自分の行動を取っていかねば、相手に勝利することは叶わないのです。
状況が常に変化し頻繁に新しい動きが起きるのは、企業活動も同じことです。
組織は組織として踏まえながらも、状況に応じて全体を意識しながら、その目的を達成することを優先して行動することが重要なのです。
企業がこのようにチームとして動くためには、何より一人ひとりが全体の一員であるという強い自覚が必要です。
森信三先生は次のように書いておられます。
教師も平教員の時代より、学校の電燈、火鉢の帰り火、水道の栓の閉じ方等々に至るまで、つねに学校の経済を念頭に置く人は、他日相当の人物となるべし。
(「下学雑話」)
森先生がこの文章を書かれたのは、戦前のことですから、若い人には分かりにくいかもしれませんが、学校の電燈の消し忘れや、火鉢の炭の節約、水道の栓の閉め忘れなどに気を配れる人は将来相当の人物になると言っておられるのです。
こうしたことに気を配れるのは、単によく気が付くという程度のことではありません。
誰の責任とも決まっていない煩わしい仕事を引き受けられる人間になるためには、そのような仕事を自分ごととして捉えられる全体観が必要です。
そうした全体観の持ち主だからこそ将来が嘱望できると森先生は仰っておられるのです。
会社に生じた課題を自分の任ではないと避ける人ばかりでは、その会社はそこから腐っていきます。
その課題に対して自分は何ができるのかという当事者意識を持つ人こそが、その会社をチームとして強くしていくのです。
チームは誰かが作ってくれるのではありません。
自分が作っていくのです。
その自覚を持った人のことを、冒頭の出光佐三の言葉にある「自ら省みて立派な人間になろうと努力する人」というのです。
そして、そんな人こそが現実の中で組織を自由に動かし、仕事を心底楽しむのです。
ただ一度の人生ですからそうして仕事を本当に楽しみたいものです。


