会長ブログ
『心と行動のガイドライン』の繙き(ひもとき) (5)

❺手を抜いたら手がかかる
当社の「手を抜いたら手がかかる」のポスターは、鳥取県倉吉の故長谷川無弟先生の作です。
当社の先代がこの版画を気に入って、長谷川先生に「使わせてください」とお願いしたところ、先生から「どうぞどうぞ」とお許しが出て以来、ポスターとして使わせていただいています。
現場で万能塀に掲げているこのポスターに見入っている人がいたり、中には写真を撮ったりしている人を見かけますが、それだけインパクトのあるポスターなのだと思います。
「手を抜いたら手がかかる」という言葉の真ん中に赤鬼が座った途端に、この言葉の本来持つ深い意味がストンと肚に落ちてくるのですから、芸術の力は本当に凄いと思います。
私は仕事というものはたいへん怖いものだと思います。
少しでも気を抜いたり、注意が散漫になっていると、とんでもないことになるものなのです。
私も判断を間違ったと悔やむことがありますが、もう少し集中し億劫さに負けずに、違和感を覚えた所に意識の焦点を当てて有意注意していれば防げたのに、と思うことがほとんどなのです。
皆さんもこれまでを振り返ってみると、これと同様なことを少なからず経験しているのではないでしょうか。
設計図の小さな記載を見逃して大変なことになりかけたことや、もう少しで死亡事故になりかけたこと。
それらが幸い良いほうへ転んだお蔭で、重大事に至らずに胸をなでおろしたこともあったかもしれません。
しかし、今回はたまたま良いほうへ転んでくれたけれども、次もそうなるとは限らないのです。
稲盛和夫さんは京セラフィロソフィーの「完全主義を貫く」の中で次のように言っておられます。
すべての仕事において、少しでもミスがあれば取り返しがつかないことになる、そう思うくらい日々緊張をして仕事をしなければならないのです。
我々の仕事はお客様にとって、この上なく切実で貴重な商品を扱っているのです。
我々の少しのミスがその建物の価値を著しく下げてしまったり、或いは現場で働く職人さんたちの掛け替えのない生活を失わせたりする。
そんな仕事の責任の重さを考えた時、仕事に怖さを感じないではおれなくなるし、まして手を抜くなどありえないことだろうと思います。
しかし、この責任の重さこそが、我々のやりがいの根源です。
そして同時に、我々の存在価値を証するものです。
それ故、仕事に手を抜くということは、仕事のやりがいや自身の存在価値を失うことでもあるのです。
仕事には明るい気持ちで取り組まねばなりませんが、それが気の緩みになってはなりません。
常に有意注意を払えるよう緊張感をもって取組み、お客様の期待にお応えしなければなりません。
自己の存在価値はド真剣に使命を果たすことによってしか手に入らないのです。
「手を抜いたら手がかかる」のポスターの怖い鬼は、我々に「真剣にやっているか」と問うているのです。
その怖さは仕事の怖さです。
鬼に睨まれるたびに、私たちは決意を新たにして仕事に取り組んでいかねばなりません。


