社長ブログ
心底得心できる人生に
山に祈る
尾崎喜八
流転の世界
必滅の人生に
成敗はともあれ
悔いることなき
純粋な愛と意欲の美しさ
尾崎喜八は山を深く愛した詩人で、山にまつわる詩を数多く残しています。
冒頭に掲げた「山に祈る」は、その中の一つで、上高地のバスターミナルにほど近い林の中に設けられた碑に刻まれているものです。
私も若い頃は山に熱中していましたので、この詩には深く共感するところがあります。
この詩が書かれた頃は、穂高の岩壁の冬季の初登攀が競われていた時代で、若い岳人たちがそれに情熱を傾け、中には遭難し命を落とす者もありました。
この詩はその人たちへの鎮魂歌として詠われたものでした。
穂高の冬季未登攀の岩壁に挑んだ若い岳人たちの情熱に、若い人特有の功名心がなかったとは言えないかもしれません。
また、このような社会的な価値を必ずしも持たないものに、命を懸ける行為には批判もあるだろうと思います。
しかし、私はこのような情熱を否定する気にはなれないのです。
本格的な山登りから離れて何十年にもなるのに、純粋な山への愛や意欲はやはり美しいと思えるし、彼らの挑戦の成敗がどうであったにせよ、そこに悔いは残らないだろうと思うのです。
これは仕事でも同じことです。
私には自分の仕事への「愛や意欲」がなければ、悔いの残らない人生にはならないように思えます。
「愛や意欲」なくして、情熱は生まれない。
情熱を燃やすことのない人生が充実するとは到底思えないのです。
森信三先生は次のように言っておられます。
人生の意義は、自分の全能力を発揮して、それが人のためにもなるという以外にはない。全能力を発揮するのは、現実としては職業を通してする以外にはない。
ここには「全能力を発揮する」が二度も出てきていますが、人生の意義を実現し、悔いのない人生にするためには、それが絶対条件だと森信三先生が確信しておられたからでしょう。
私も今年で古希を迎え、これまでの人生を振り返って思うのは、自分は果たして全能力を発揮しえたのかということです。
どこかで手を抜いてはいなかったかという自問です。
この問いに自信をもってイエスと答え得る自分がいないのがとても残念なのです。
私は皆さんに後悔のない人生を送って欲しいと思っています。
そのために、情熱を燃やし全能力を仕事に発揮してもらえたらと思っています。
満足な人生というのは難しいかもしれませんが、後悔のない心底得心のいく人生を送ってもらいたいと願っているのです。