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たくさんの”ありがとうございました”

たくさんの”ありがとうございました”

こんにちは。

設計積算部のTです。

 

先日義母が他界しました。

義母が施設に入所してから、私は会っていませんでした。

振替休日を頂いていたその夕方に、義兄から「施設から連絡が入ったから行ってくる。」と一報が入りました。

コロナの関係で面会も難しく、その夜遅くに義母は家に戻ったと連絡が入りました。

慌てて実家に行くと、義母はそこで眠っていました。

 

次の日からはあわただしく、コロナの影響もあり濃い身内だけでしたが、朝から義兄弟夫婦や実家の孫たち(甥)が集まりました。

お寺様(先代)をお迎えし、枕経を唱えて頂きました。

そして、夜に再度集まり、線香の番をすることになりました。

一睡もせずにいた義兄に仮眠を勧めたのも束の間、葬儀社や市役所がその間にも来られ、ばたばたと時は過ぎて行き日付が変わっていました。

 

通夜の日は朝から湯灌(ゆかん)の儀が始まりました。

いわゆる「おくりびと」納棺師さん(女性)が厳かに皆の見守る中で尊厳を保ち、体を洗い・シャンプーをし、顔そり、なんと顔にパック、ドライヤーかけまで、さすが女性の納棺師さんです。 

細かい配慮に感謝です。

お布団から棺に移り、市役所の職員の方が迎えに来られ、これで 義母が 長年住んできた家との別れです。

 

外にでると、本来通夜・葬儀にも列席してくださる近所の方が(コロナなので一家に一人参列と決まっています)、最後のお別れに集まってくださっていました。

参列できない女性の姿が多く、義母との思い出も深い方々であったと思います。

義母は葬儀場に向かい、兄嫁と妻と私は残り片付け等をしていると、義母と親交のあった近所の方が喪服を着て、一目会わせて頂こうとお越しくださいました。

その方は義母とさほど年齢も離れていなく、耳が遠く時間がうまく伝わらなかったようで、背中を丸めて残念そうに帰って行かれました。

きちっと正装をしてくださったそのお気持ちを察し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

会場へと向かうと、ありがたいことに供花や供物が沢山用意されていました。

名前の確認や名札の順番等、業者の方と確認しながら参列してくださる方々を迎える準備が整っていき、私たちも最前列でお礼を申しあげながら会場へご案内をさせて頂きました。

通夜が無事終わると 親族だけの明日の打ち合わせと軽い食事を取り、その後は通夜式に間に合わなくても御焼香をあげに来て下さる方をお待ちするために親族交代で会場に待機をしておりました。

社長と設計積算部長が遠路お忙しい中、また当日渋滞の中、義母通夜式に足を運んでくださいました事、感謝申し上げます。 

本当に有難うございました。

 

夜は甥たちが寝ずの線香の番をしてくれます。

彼らは33晩、大切に育ててもらったおばぁちゃんの側で過ごしてくれました。

 

告別式当日は朝早くから親族が会場に集まり、式の案内を受け最後に棺に入れるもの(写真や絵や般若心経の書等)を確認したり、義母の顔をのぞき込んだり、姉妹で話し込んでいたり、それぞれが様々な時間を過ごしたと思います。

告別式が無事終了し、本当に最後の別れとなりました。

沢山のお花をあふれんばかりに皆で棺に入れて、出棺となりました。

「ありがとうございました。」

その言葉しか見つからない、感謝の想いがいっぱい溢れてくる義母はそんな人でした。

 

骨あげ、初七日法要を済ませて頂き、小さくなった義母を抱いて親族は無事家に戻りました。

99歳迄生きてくださると、そこに涙はないようです。

娘である妻や姉妹、その子供たち(孫たち)皆が優しい笑顔で仲良く寄り添っていて、そこには「ありがとう」しかないようです。

 

コロナ禍の中で多くの方に来ていただいたことに感謝。

きちんとお別れできたことに感謝。

生前義母に出会えたことに感謝。

 

私にとって、今回の告別式はこれだけの「ありがとうございました」という言葉が出てくる場所であり、また様々なことに気づかせてくれる場でもありました。

これも、義母の生きた証であり、義母のおかげ様で感じることが出来ました。

 

最後に社長はじめ社員の皆さま、協力会社の皆様にはお心遣い、重ねてご香料等賜りまして誠に恐縮しております。

ありがたく霊前に供えさせていただきました。

私からもまた義兄からも、こころより御礼申し上げます。

有難うございました。