社長ブログ

孫が生まれて

孫が生まれて

この三年足らずの間に、孫が三人生まれました。

子供がやっと結婚したなと思っていたら、瞬く間にお祖父ちゃんになり、やれお宮参りだ、やれお食い初めだと、それはそれで忙しくなりました。

私はこの子たちの結婚式に出ることは恐らく叶わないでしょうが、子をあやしながらも、どんな時代にどんな人生を送るのだろうかと想像し、けっして平坦ではないかもしれない道を、逞しく生き抜いて幸せになって欲しいと願うのです。

 

そんなことを思っていると、祖母に抱かれた遠い記憶が蘇ってきました。

私の母は仕事で忙しく、小さい頃の私は祖母にずいぶん世話を焼いてもらいましたが、祖母も同じ気持ちで私に接していたのだろうと、その時の祖母の気持ちが漸く分かってきたように思うのです。

このようなことを世代ごとに繰り返しながら、人間は命をつないできたのだと、命のつながりを実感として理解できたように感じるのです。

 

この命のつながりと無関係に生きている人は、誰一人としていないのです。

親がいて、そのまた親がいて、そのまた親がいて、というように、命がつながっているからこそ、今私たちは生きている。

例えば、二十世代遡ると、ひと世代二十五年として五百年前になりますが、私たちの祖先は二百万人になります。

現在の大阪市とほぼ同じ人口ですが、そのうちの一人でも、子供をつくる前に命を落としていたなら、私はいない。

そしてその二百万人が百万組の夫婦となり、そのうち一組でも他の人と結婚していたら、私はいない。

 

これはたった五百年の間の話ですが、人類の誕生は五百万年前だという説がありますから、この一万倍です。

先程の計算をすれば、途方もないことになります。

私たちの日常感覚からいうと、夢みたいな話ですが、紛れもない事実なのです。

この命のつながりの事実がなければ、今私は生きていないのです。

そう考えると、私の存在は奇跡としか言いようのないもので、命をつないでくれた先祖に掌を合わさずにはおれなくなります。

 

また、無事に生まれ出た後も、よく思い出してみれば、いかに多くの人の世話になりながら育まれたことか。

父母、祖父母はもとより、親戚、近所の人、学校の先生、友人など数限りない人のお世話になりながら今の自分となっているのです。

 

仕事にしてもそうです。

今の仕事ができるようになったのは、自分の力だけではありません。

学校の先生に教えられ、先輩上司に育てられ、漸く今の仕事が出来るようになったのではないでしょうか。

 

このように考えてくると、自分の人生というものは、自力で生きている部分よりも、「つながっている」ことによって他力に生かされている部分の方が、はるかに大きいということに気付くことができます。

 

日常生活の中では、それらを当然のことのように思ってしまい、ついつい「ありがたさ」を忘れてしまっています。

そして、自分の力で生きていると傲慢にも思い、自分の人生は自分のためにあるとしか思えない。

その結果として自分の果たすべき役割や責任、ひいては自分の価値についても見失ってしまうことになるのです。

 

当社の理念「『ありがとう』の溢れる会社を創ろう」は、「つながり」によって生かされていることに感謝して、そこから自分の役割・使命を自覚し自分の価値の拠り所を見出そうということです。

 

孫をあやしながら思うのは、私が育てられたように、この子たちに命をつなぎ、育むことのために私は生きているということです。

そして、私が今の私になるまでに、多くの人のお世話になったように、私もまた、人のお役に立てるように生きなければならないということです。

それが私の役割・使命であり、それこそが私の価値だと思うのです。