会長ブログ
苦労の味わい、仕事の味わい

そういう誇りと、その誇りに伴うさまざまな苦難というか、苦悩というものは、“味わい”をもっている。
そう考えることができないで、苦労がいやだというのなら、最初から経営者にならんほうがいい。
こう言いたいな、ほんとうのところ・・・・・・・・・。
作品ができた、仕事が進んだというときの喜びを味わう。
苦しさを味わい、喜びを味わう。
それによって、自分というものを考える。
それがないような人は経営者にはなれない。
なっても失敗する。
(松下幸之助「経営問答」)
若い頃、私は山登りに夢中になっていました。
その時に登攀対象に選ぶのは、今の自分の力で登れるか登れないか分からない山であったり岩壁でした。
始めから登れると分かっているような山登りには、ほとんど魅力を感じることは出来ませんでした。
まかり間違えば、遭難するかもしれないような対象を登ろうとするとき、もっとも高揚感を覚えたものです。
その頃、私が欲していたものは、苦労や恐怖を乗り越えて、頂上に到達した時の達成感であったと思います。
その達成感の希求が、最後にはヒマラヤまで私を駆り立てたのでした。
これは仕事でも同じことです。
私が旭長寿の森の設立を目指したとき、まったく経験のない分野ですから、私に出来るかどうかは皆目見当がつきませんでした。
しかし、社会福祉法人をつくり、地域の皆さんのお役に立てるチャンスを見逃す気にはなりませんでした。
案の定、理不尽や不条理なことも含めて様々な苦労があり、未知な事業に進出したことを後悔したこともありました。
しかし、今振り返ると、本当にチャレンジして良かったと思っています。
そして、旭長寿の森が多くの人たちの協力のお陰で今日の姿になった今、松下幸之助翁のいわれる「苦労の味わい」の意味も分かるような気がします。
仕事の味わいというものは体験してみなければ、分かるものではありません。
遊びの面白さはある意味で単純ですが、仕事の本当の面白さは言葉で簡単に伝わるものではないのです。
柳本さんがよく言う綾部老健での達成感は、その時の苦労があったればこそのものです。
逃げ出したくなるような苦労の体験には、言葉では伝えられない味わいがあるからこそ、月日がたっても忘れられないものになるのです。
仕事の本当の喜びというものは、困難や苦労を乗り越えた所にこそ見出せるものです。
達成感はそれに至るまでの困難と苦労に比例して得られるものであり、いつまで続くか分からない困難や苦労に堪え抜いた時にこそ、大きな喜びは得られるものです。
誰でも苦労するのは嫌なものです。
理不尽や不条理に苦しむのは誰でも避けたいものです。
それに耐えるためには、目指すものがなければなりません。
どうしてもこんなことが出来るようになりたい、どうしてもあんな人間になりたい。
そんな夢や強い願望がなければ、自分の限界だと思っているものを乗り越えることは出来ないのです。
皆さんには、ぜひ今の自分の限界だと思っているものを乗り越えて、自らの可能性を広げて欲しいのです。
自分の潜在能力を花開かせて欲しいのです。
そして、人生は捨てたものではないと気づいて欲しいのです。