社長ブログ

ブランド

ブランド

今年は元旦に能登半島地震が起こり、新年を祝う気分も起こらないという年明けになってしまいました。

二百数十名の方お亡くなりになり、一万7千人の方が、厳しい寒さの中、不便極まりない避難所生活を送っておられます。亡くなった方々を悼み、被災された方々にお見舞いを申し上げたいと思います。

 

私は能登に行ったこともありませんし、これと言って知り合いがいるわけでもないのですが、ただ両親が二十年ほど前に輪島に旅行した時に、ふらっと立ち寄ってお椀を買ったお店のご主人Tさんとは、その後もお付き合いが続いていました。

地震の後、そのご主人と連絡が取れず心配したのですが、十日ほどたって元気でおられることが分かり、ホッとしたことでした。

 

両親がそこで求めてきたお椀は、何年使っても色も艶もまったく変わりません。

持ちやすく手触りも良く、これは良いものだと思って、Tさんのお店にお願いし、長男の結婚式でも、長女の結婚式でも、引き出物として使わせていただきました。

そして、次男の結婚式でも同じようにお願いしたのですが、事情があって結婚が決まってから式まで三か月しかなかったために、納期に間に合わないということで、断られてしまいました。

輪島塗には、百以上の工程があって、それぞれの工程に専門の職人がいて、一つの製品はその職人たちの分業によって作られるものだそうです。

それでも私は輪島塗を引き出物にしたかったので、百も工程があるのだったら、そのうちの一つや二つ飛ばしてもらっていいので、何とか間に合わせてもらえないかと、とても失礼なお願いをしてしまいました。

そうすると、そのTさんから大変おりを受けました。

 

Tさん曰く

「定められた工程を一つでも飛ばしたものは、それはもう輪島塗とは言わないのです。」

「輪島塗は漆と対話しながら時間をかけて作っていくものなのです。」

Tさんの言葉には確信があって、揺るぎのないものでした。

次男の結婚式も百人くらいの参列者はいましたので、それなりの商売にはなるはずですが、そんなことはてんで問題にもならないのです。

それよりも輪島塗のブランドを守ることが何よりも重要だったのです。

 

ブランドというものは、この輪島塗のように、その製作に携わる人皆が手を抜かないことが必要です。

輪島塗のように長く使われるものほど、一人でも手抜きがあると、後世に至ってもその不良製品がブランドを貶めてしまうのです。

それだけに輪島で漆器を扱っている人みんなが、高いブランド意識を持っていなければなりません。

そして、その意識が何世代にもわたって受け継がれ磨かれなければ、輪島塗のように江戸時代からブランドを維持するということは不可能なのです。

その何代にもわたる多くの人々の努力は、想像を超えるものがあったに違いありません。

 

これは我々建設業でもまったく同じです。ブランドになるためには、一人として手を抜いてはならないし、仮に失敗があったとしても、その失敗に誠実に対応することが必要なのです。

ブランドになるための道は、決して楽な道ではありません。

いつも緊張を強いられ、弛緩の許されない道なのです。

しかし、そのブランドが高まることによって、お客様は安心して当社に注文していただくことができるのです。

私が結婚式の引き出物に輪島塗を使ったのは、その製品の確かさを確信できたからですが、建設業においても、安心と信頼のブランドは、お客様にとって大きな価値を持つのです。

 

今回の地震で、輪島塗の業者さんたちは、壊滅的な打撃を受けたそうです。

このように分業制で生産するものだけに、一つの業者だけが立ち直ればいいというものではありません。

輪島塗は競争ではなく、共創によってつくり出されているのです。

それだけに輪島の町全体が復活しなければ、輪島塗の復活はないとも言えます。

たいへん困難な道のりだろうと思います。

しかし、これまで何世代にもわたって築き上げてきたブランドが、人々の共感を呼び起こし、その復活を支えることだろうと思います。

輪島塗と能登の復興を心から願ってやみません。