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~瀬戸内海半周旅行~

~瀬戸内海半周旅行~

こんにちは。

工事部のAです。

 

先日、父親の7回忌と母親の米寿祝いを兼ねて実家に帰省しました。

その後、私の還暦合同記念も併せ旅行に出向きました。

 

初日は、金比羅さんに参拝です。

母親は、後期高齢者の為、御本宮までの785段はさすがに上る事は出来ないので、御本宮までの駐車場をネットで事前予約して参拝してきました。

豆知識ですが、元来は786段あったそうです。

「なやむ」という語呂合わせを避けるため、1段下げたとそうです。

本宮までの階段合計数は1,368段あります。

通常の住宅で≒105階相当になりますが、体力自慢の方は是非挑戦してみてください。

 

参拝階段登り口の街並み風景

当日は、祝日でしたので、かなり混雑してました。

今では、日本人より外国人の方が多く、又、参拝方法も良く知っており驚きました。

 

御本宮からの眺望様子


翌日の2日目は、松山城と道後温泉です。

東京在住の長女と合流するために松山空港に行きました。

そして、松山城へ・・・・・・。

松山城本丸は標高132mの山頂にあるため、歩いて登るのは大変です。

そこで、8合目付近まで運行しているロープウェイやリフトを使って往復できます。

元気な方は徒歩で行かれてました。

 

このロープウエイで往復しました。

高齢者等には結構きつい通路です。

日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていないそうです。

お城見学で疲れていましたので、早々に宿泊先に移動して休憩を取り、その後、道後ハイカラ通りを散策しました。

 

道後温泉本館(昼間) 

道後温泉本館 (夜間)              

定番の、道後温泉本館や道後温泉駅・からくり時計を見ながらまったりした時間を費やしました。

3日目は、道後温泉から倉敷に移動です。

途中でしまなみ海道を利用しました。

 

移動道中で観光スポットでもある亀老山展望公園により、展望台から眺望しました。

渦巻く来島海峡と世界初の3連吊橋「来島海峡大橋」が一望できます。

’94日本サインデザイン協会奨励賞を受賞’95’日本建築学会優秀建築物ですが、当日は曇りの為にはっきりした映像は撮影出来ませんでしたが、かなり見ごたえは有りました。

 

途中休憩の含め約3時間を費やし倉敷に到着しました。

本日の宿泊先は、倉敷アイビースクエアです。

 

美観地区内にあり、明治時代の倉敷紡績所(現クラボウ)発祥工場の外観や立木を可能な限り保存し、再利用して生まれた、ホテル・文化施設をあわせもつ複合観光施設です。

当日は修学旅行の学生が宿泊で利用していた為にかなり活気が有りました。

夕刻から出向きましたので、かなりの店舗が営業を終えられたり、片付けをされていましたので、本当に散策程度しか出来ませんでしたが、翌朝に再度挑戦する事にしました。

 

最終日(4日目)には、美観地区の散策を終えた後、岡山後楽園と岡山城に行きました。

「岡山後楽園」は、「国の特別名勝」に指定されている日本庭園だそうです。

日本庭園とは自然の景色を石や水の流れ、植物などを配して人工的に自然景観をつくる庭のことで、水戸の「偕楽園」・金沢の「兼六園」と並んで、優れた景勝を持つ「日本三名園」の1つに選ばれる、日本を代表する庭園のひとつです。

 

「岡山後楽園」は岡山藩(現在の岡山県)の2代目領主・池田綱政(いけだつなまさ)が、憩いの場として1687年から1700年にかけて築いたそうです。

「岡山城」の後ろにつくられた庭園という意味で、「御後園(ごこうえん)」と呼ばれ、歴代領主が客をもてなす際に使用されていました。

1871年に「後楽園」と改め、名園保存を目的として岡山県に譲渡したと記載してました。

後楽園から橋を渡り岡山城に行きます。

橋を渡り廊下門をくぐり、しばらく進むとお城全景が見えます。 

空襲の為RC造として再建し、その後、数回にわたり改修・大改修を経て今に至っていますが、EVで4階迄昇降できます。

 

岡山城の天守は、豊臣秀吉の大坂城がそうであったといわれるように、外壁は黒塗りの下見板で覆われていて、烏城(うじょう=「う」はカラスの意味)の別名があります。

また、発掘によると、宇喜多秀家時代の金箔瓦が出土しており、築城時には、城内の主要な建物の随所に金箔瓦が用いられ、豊臣政権下の有力大名である威厳を示していたことでしょう。

これにより金烏城とも呼ばれますと説明が有りました。

 

今回の旅行はこれで終えましたが、親が生きているうちはもっと親孝行をしなければならないと思いましたし、9月には初孫も出来て、もっと頑張らないといけないと改めて感じた機会でした。

中々遠出することは困難になってきましたが、定期的に連絡を行い、安心して過ごして戴くように、これからも母親を大切にしていきたいです。