社内のできごと
豊国大明神像
新年あけましておめでとうございます。
設計積算部のKです。
コロナウイルスに翻弄される生活から早3年目を迎えた今年、私たちの生活はどう変わることが必要なのでしょうか。
毎年仕事始めの朝は、社員全員で氏神さまである旭区の大宮神社に揃ってお参りします。
境内はさほど大きくはないのですが、個人的には馴染みがあり身近な神社です。
直近の大ニュースは、令和の大改修で新たに発見された豊国大明神像ではないでしょうか。
製作年代は江戸時代と考えられ、17世紀中頃(1650年頃)にさかのぼる可能性もあるとのことで、「大阪市指定有形民族文化財」に登録されています。
秀吉が神格化した姿をあらわした豊国大明神像の作例としては、画像が多く残されています。
秀吉の没後まもない桃山時代から江戸時代初めの作例だけで、30を超えるといわれています。
一方で、木像は知られている作例は少なく、全国で20数例が知られるのみです。
これらの木像は、像高が80センチメートル程度の大きな像から、10センチメートル程度の小さな像までさまざまです。
その中では京都市の西方寺像が最も大きく、冠を含めた像高が81.0センチメートルです。
これに対して大宮神社像は、冠を欠失した状態での像高が81.9センチメートルであり、西方寺像よりもひとまわり大きい等身大の像で、近現代の銅像などをのぞけば、全国で最大の木像となるようです。
歴史を少し調べてみました。
ホームページやウェブ上を探ってみますと、大宮神社の創建は今から約838年前に遡ります。
文治元年2月(1185年)に源義経が平家追討の下向の折、この地に立ち寄り、宇佐八幡の神の霊夢を見て目覚めたところ、一樹の梅の古木に霊鏡がかけられていました。
義経は我に神助ありと勇気百倍になり、その鏡を奉じて平家を打ち滅ぼし、このことを後鳥羽天皇に奏上して神社建立を許され、この地に社を建て「大宮八幡宮」と称したと伝えられます。
昔、京街道に面する旧大宮1丁目(現在高殿4丁目)に「一の鳥居」があったようです。
ここより神社の馬場先まで(青点線)道の両側に松並木があったそうで、長さ十二町は約1,300 メートルです。
大宮道と松並木、周辺には、内代村、江野村、参道の先に「南島村」、森小路村が見えます。
別の絵図では、京街道の一里塚も見えます。
一の鳥居との距離感から当時、大宮神社の存在はとても大きなものだった事が想像できます。
普段は、何気に鳥居の前を通ったり、年に数える程度の柏手を打つ事しかありませんでしたが、歴史の素人が少し紐解くだけでも、そこに長く存在している意味が今回解った気がしました。
これからも、地域や「私」の氏神様として存在し続けて頂けるよう祈念し、新たな年を迎えたいと思います。